東京地方裁判所 昭和50年(ワ)5891号 判決 1979年3月26日
原告 石井武雄
原告 石井伝太郎
右原告ら訴訟代理人弁護士 宍道進
同 藤井文夫
被告 富士興発株式会社
右代表者代表取締役 嶋崎昭彦
<ほか一三名>
右被告ら訴訟代理人弁護士 大竹昭三
被告 渡辺善美
右訴訟代理人弁護士 榎本昭
右訴訟復代理人弁護士 上野伊知郎
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 別表一の(二)記載の各被告は、同表(一)記載の各原告のために、同表(三)記載の各土地につき、同表(四)記載の各法務局、日付、受付番号をもってなした各所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告石井武雄は、栃木県黒磯市東原字天蚕場一三六番一二山林六〇〇平方メートル、同所一三一番七二山林六〇〇平方メートル、及び同県塩谷郡塩原町大字横林字関谷道一五三番一〇一山林一、〇〇二平方メートルを所有するものであるが、昭和五〇年二月二二日、訴外株式会社第一プロジェクト(以下「訴外会社」という。)との間において、右土地の所有権を右訴外会社に移転し、訴外会社は静岡県静岡市岩崎字古屋敷二八〇番七一山林一、〇九〇平方メートル、同所二八〇番七五山林二、四八一平方メートル、同所二八〇番七六山林二、一一四平方メートル及び同所二八〇番七七山林一、〇二九平方メートル(いずれも登記簿上の所有名義人は訴外明新実業有限会社)の所有権を同原告に移転する旨の交換契約を締結した。
2 原告石井伝太郎は、黒磯市東原字天蚕場一三一番一三一山林六〇〇平方メートル、同所一四二番四六山林六〇〇平方メートル、及び同所一五一番五二山林五五三平方メートルを所有するものであるが、同年三月三一日、訴外会社との間において、右土地の所有権を訴外会社に移転し、訴外会社は静岡市岩崎字古屋敷二八〇番六九山林一、九七〇平方メートル、同所二八〇番七二山林一、六〇五平方メートル同所二八〇番七三山林一、九五八平方メートル及び同所二八〇番七四山林一、九三五平方メートル(いずれも登記簿上の所有名義人は訴外明新実業有限会社)の所有権を同原告に移転する旨の交換契約を締結した(以下、1・2の交換契約を「本件交換契約」という。)。
3 なお、原告らが本件交換契約によって訴外会社に譲渡した前記土地のうち黒磯市東原字天蚕場一五一番五二を除くその余の五筆の土地(以下、「本件土地」という。)は別表二のとおり分筆され、右分筆された各土地につき、現在、各被告に対し、別表一のとおりの所有権移転登記が経由されている。
4 しかしながら、右各交換契約における原告らの交換の意思表示には、いずれも、原告らが取得すべき目的たる土地についての錯誤があり無効であるから、本件土地は現在もなお原告らの所有である。
即ち、原告らが、交換によって訴外会社から取得すべき目的の土地として訴外会社に案内されて実地見分した土地は、近隣の宅地造成が進行中で、市街地にも近い、三・三平方メートル当り金一万円以上の価値ある土地(後に右土地は藤枝市字越ヶ谷所在の土地であることが判明した。)であったが、交換契約に表示された静岡市岩崎字古屋敷所在の土地は大井川の上流の井川湖の付近で、地図によるとそこに至る道路もない人里離れた何ら価値のない土地であって、両地は全く異った土地であるのに、原告らは、右案内された土地を契約上表示された土地と信じて本件交換契約を締結したものである。
5 よって、原告らは被告らに対し、本件土地の所有権に基づいてそれぞれ請求の趣旨記載のとおりの所有権移転登記の抹消登記手続を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし3は認める。
2 請求原因4の事実は否認し、錯誤の主張は争う。
三 抗弁
1 仮に、原告らの交換の意思表示に錯誤があったとしても、右錯誤は原告らの重大な過失によるものであるから、原告らはその無効を主張できない。
即ち、原告らは不動産取引の経験を有する者でありながら、土地勘のない他県の土地の取引である本件交換契約の締結に際し、訴外会社に案内されるまま、交換の目的とされた土地を見分しただけで、地図その他によりその所在場所等を確認するという基本的努力を怠り、漫然本件交換契約を締結したものであって、もし、原告らにおいて右の程度の注意を払っていれば、以下の事情の認められる本件では、容易に原告らが案内された土地が契約書に表示された土地でないことを知り得た筈である。
即ち、原告らが案内された土地は藤枝市の市街地から一〇〇メートル位のところにある茶畑ならびにみかん畑であり、契約書に表示された静岡市岩崎の土地は山梨県との県境に近い南アルプス山中の井川ダムの更に上流に位置する山岳地帯であって、両土地は地図上の直線距離にしても五〇キロメートル以上離れており、地図を一見すれば右案内された土地が契約書に表示された岩崎の土地でないことは容易に知り得るものであること。
また、本件交換契約の対象として契約書に表示された静岡市岩崎字古屋敷の土地の地目は、いずれも山林となっているのに、原告らの案内された土地は前記のとおりの茶畑ならびにみかん畑であり、最近になって山林を開発して造成された農地でないことは一見して明らかなところであるから、農業を営む原告らがその職業上の関心ならびに注意能力から右地目の点に疑問を抱いて調査していれば、かかる結果を避け得たこと。
2 被告富士興発株式会社が訴外会社から本件土地(但し、黒磯市東原字天蚕場一四二番の四六を除く。)を買受ける際、右土地の所有名義人は原告らであったが、原告らは本件土地の所有権移転登記手続に必要な一切の書類を訴外会社に交付しており、しかも、原告らは、かつて、訴外三共開発株式会社と頻繁に不動産取引を行ったことがあり、その頃から同社の営業部長で現に訴外会社の常務取締役をしている訴外林田四波三郎に対し絶大な信頼をおいていたものであるから、右事情を知り、訴外会社が本件土地の正当な所有者であると信じてこれと取引をした被告富士興発株式会社および右書類により作出された富士興発株式会社の登記名義を信頼して取引をした被告渡辺善美を除く各被告らは民法九四条二項の規定の類推適用により保護されるべきである。
被告渡辺善美についても、被告富士興発株式会社と同様の事情の下に訴外会社との間で、黒磯市東原字天蚕場一四二番四六の土地の売買契約を締結したものであるから、民法九四条二項の規定の類推適用により有効に右土地の所有権を取得したものと言うべきである。
四 抗弁に対する認否
1 本件交換契約の締結に際し、原告らに重大な過失があったとの主張は争う。
即ち、原告らは農業を営む者であり、不動産売買については全くの素人である。
原告らは、本件交換契約の対象とした本件土地を、かつて訴外三共開発株式会社から取得するについて、その従業員である訴外林田四波三郎がその担当にあたったことから同人を充分信用していたところ、同人が訴外会社の代表者らを同道して、本件交換契約の話を持ちかけ、また土地所在図等を示しながら原告らを案内した土地が静岡市岩崎字古屋敷の土地であり、現在、分譲すべく分筆中である旨説明したため、原告らは右案内された土地が静岡市岩崎字古屋敷という地名の土地であると信じたものである。
また、案内された土地は静岡市と距離的に余り離れておらず、右土地が静岡市内所在の土地であると信じても、神奈川県に居住し静岡県については全く不案内な原告らとしては過失があるとは言えない。
2 抗弁2の主張は争う。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因1ないし3の事実はすべて当事者間に争いがない。
二 しかして、《証拠省略》によれば以下の各事実を認めることができる。
即ち、原告らは、肩書住居地において農業を営む者であるが、昭和五〇年二月中旬頃、以前投機目的で本件土地等を買入れた際これを媒介した訴外三共開発株式会社の担当者として知り合い、当時訴外会社の従業員をしていた訴外林田四波三郎から静岡に訴外会社が所有する土地を購入するよう強く勧められ、一旦は、購入資金がないとの理由でこれを断った。しかし、その後、同年二月一八日、林田及び訴外会社の専務である訴外坂口範男が再度原告ら方を訪ずれ、右両名から、訴外会社所有の静岡の土地を買入れるよう執拗に勧誘され、購入資金の都合がつかないならば原告らの所有する本件土地と交換することでもよいから是非現地を見るようにもちかけられたため、原告石井伝太郎は、その翌日、勧められるままに、孫の昇を伴い、右両名に案内されて、訴外会社の仕立てた乗用車で現地の見分に出掛けた。原告らの案内された土地は、厚木インターチェンジから東名高速道路に入り、焼津インターチェンジでこれを出て、車両が輻湊して渋滞気味の道路を三〇分ほど走行した(距離にして約九キロメートル)位置にある市街地のはずれの住宅街を抜けて一〇〇メートルほどのところにある高さ二五メートルほどの丘陵状の台地の南向斜面で、段々畑をなし、現に茶畑ならびにみかん畑として使用されており、またその周辺の土地は宅地として造成工事がなされていた。(後になって、右土地は藤枝市字越ヶ谷所在の土地であることが判明した。)右見分後、原告らは、前記林田、坂口両名から、同人らが案内した土地の現価は坪当り一万円程度であるが、近々訴外会社が予定している付近一帯の宅地造成工事を行うことにより相当の高値を呼ぶ宅地となる旨の説明を受け、原告らの所有する別荘地である本件土地とならば、一対三の面積比で交換したいとの申入れを受けて、かつて原告らが本件土地を購入した際、その手続一切を委ねて遺漏のなかったことから林田に全幅の信頼をおいていたこともあって、右土地が静岡市岩崎字古屋敷の土地であるとする右両名の言に何らの疑いも抱かないまま、右土地の登記簿謄本や所在図等の交付を求め、交換対象物件の同一性を確認するための格別の注意も払うことなく、同月二二日、訴外会社との間でまず原告石井武雄所有の土地について請求原因1の土地交換契約を締結した。
次いで、同年三月二九日、重ねて、前記坂口及び同じく訴外会社の永井昭雄から、本件土地中石井伝太郎所有地についても先に案内をした土地と一対四の面積比で交換してほしい旨の申込を受けたため、同原告は訴外会社との間で、ほぼ前回と同様の経緯で、同月三一日、請求原因2の土地交換契約を締結した。ところが、同年四月二二日頃、前記林田から、本件交換契約の対象土地に間違いないか確認すべく示唆する電話があり、このときになって初めて、疑惑を覚えた原告らが地図を調査し、また、第一回目の交換契約についての権利証を作成した望月司法書士に電話で確認した結果、本件交換契約の対象とされている土地は、原告石井伝太郎が案内され、原告らが本件土地と交換する目的物件であると思い込んでいた土地(前記藤枝市字越ヶ谷所在の土地)ではなく、同じく静岡県内ではあっても、ずっと山奥の大井川上流で山梨県との県境に近い山岳地帯にある井川湖畔の崖地である静岡市岩崎字古屋敷所在の土地で、坪当りせいぜい数百円程度の価値しか有しないものであることが判明した。
以上の事実を認定することができ、この認定を動かすに足りる証拠はない。
右事実によれば、原告らは、原告石井伝太郎が案内された土地である藤枝市字越ヶ谷の土地を本件土地と交換する意思のもとに、これを契約上表示された静岡市岩崎字古屋敷の土地と同一の土地であると誤信して本件交換契約を締結するに至ったものであるから、原告らの本件土地交換契約における意思表示には、交換により取得すべき目的土地について錯誤があることは明らかであり、前判示のとおり、本件交換契約の対象物件として表示された静岡市岩崎字古屋敷の土地と、原告らが右対象物件と誤解していた藤枝市字越ヶ谷の土地の間には著しい相違があることを考慮すれば、右錯誤は要素の錯誤に当るものというべきであるから、本件交換契約は無効であるというべきである。
三 しかしながら、《証拠省略》によれば、本件交換契約上対象物件として表示された静岡市岩崎字古屋敷の土地の登記簿上の地目は山林であるのに、原告石井伝太郎が案内された藤枝市字越ヶ谷の土地の登記簿上の地目は畑であり、現況も前判示のとおり、近年開発されたばかりの農地ではなく、かなり以前から耕地(茶畑、みかん畑)として利用されている状態を呈していたのであるから、原告らが登記簿を閲覧していれば右土地を契約上山林と表示することには当然に疑問が生ずる筈であり、また、右藤枝市所在の土地と静岡市所在の土地とは地図上の直線距離にしても五〇キロメートル以上離れた位置にあり、しかも右静岡市所在の土地は前判示のとおり静岡県と山梨県との県境に近く、そこに至る満足な道路すらない所謂南アルプスの山岳地帯にあって、原告石井伝太郎の案内された土地とは明らかに別の土地であることが地図を一見することにより容易に発見し得る筈であるから、原告らが本件交換契約を締結するに当り、交換の対象となる土地について少くとも登記簿を閲覧しあるいは登記簿謄本の交付を求め、地図を調査してその所在を確認するだけの注意を払っていれば、右契約の対象物件として表示された土地(静岡市岩崎字古屋敷の土地)と原告石井伝太郎が案内され、原告らが右契約の対象となっていると誤信していた土地(藤枝市字越ヶ谷の土地)とが相違することは極めて容易に知り得たものというべきであり、しかも、右程度の注意を払うことは一挙手一投足の労を要するにすぎないことであるから、漫然と前記林田らがいうがままに右両地が同一であると信じ込み、かかる必要最小限度の注意すら払わずに本件交換契約の締結に臨んだ原告らには、原告らが専業農家であって、以前本件土地を購入したことがあるほかは不動産取引に疎いこと(本件土地の購入に当ってもその手続一切を業者である前記林田に一任していたことは前判示のとおりである。)、取引の相手方が不動産取引の専門業者を称する者で、一般人としては一応これに信頼を寄せても不思議ではないこと、本件取引の勧誘に当った前記林田らにかなり甘言を弄したふしが窺われることを考慮しても、なお不動産取引をなす者として普通に払うべき注意義務の著しい懈怠があるものといわざるを得ないから、原告らには、本件交換契約の対象物件を誤信するについて重大な過失があったものと言うべく、従って、原告らは本件交換契約の無効を主張することができないものというほかはない。
してみると、原告らは、結局において本件交換契約によって本件土地の所有権を失ったものといわざるをえないから、原告らに本件土地の所有権があることを前提とする原告らの本訴請求はその余の判断をするまでもなく理由がない。
四 よって、原告らの本訴各請求はいずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 落合威 裁判官 塚原朋一 原田晃治)
<以下省略>